浦和レッズのホームタウン
人口1,188,071人(推計、2007年5月1日/国内十位) 面積217.49km²
浦和市と与野市、大宮市が合併して誕生した。それに伴い、浦和レッズの名称が変わるのではないかという議論が盛んにされた。
市内にはもうひとつのJ1クラブ「大宮アルディージャ」があり、レッズとの対戦は「さいたまダービー」と呼ばれる。
所在地:埼玉県さいたま市緑区中野田500番地
収容人数:63,700人
http://www.stadium2002.com/
日本が、浦和が世界に誇る蹴球専用スタジアム。
浦和レッズホームスタジアム そのこけら落としで情けない敗戦をした事はもう忘れたいものだ。
06シーズンは不敗記録を更新中であったが、07シーズンの川崎戦の敗戦で記録は潰えた。また、ここ最近では、08シーズン8.23磐田戦を最後にリーグ戦での勝ちが無い。(アル・カドシャ戦は勝利)
2000年 レッズ監督 2007年現在 三菱養和SC監督
2006年度 背番号:24
2006シーズン、熊本大津高校から加入の高卒ルーキー
左利きの大型DFとして将来が期待される。
愛称は「もっちゃん」。
2008シーズン終了後、移籍。
セレッソ大阪のこと。スペイン語で桜の意。大阪市の花である桜からとった。
リーグ上位と下位、昇格と降格をに繰り返しており、ジェットコースタークラブという異名をとる。
“デカモリシ”こと森島康仁選手、“U-17唯一のプロ”柿谷選手らがいるが、今季の再昇格は微妙である。
2005年3月放送のスカパー制作の「Jリーグ28特別編集」で、ミスターセレッソとも言える森島寛晃が「セレッソ」の意味を答えられなかった。
ジュゼッペ・ザッペッラ、レッズ歴代外国籍選手では珍しいイタリア人。DF
来日したシーズンはそこそこの働きをしたが、だんだんファンタスティックなディフェンスを見せるようになり、イエローが多かったこともあって解雇された。
髪型が岡野とかぶっていたため、大原で夫人が間違えたらしい。
プロサッカーのJリーグで、二軍以下のチームを指す。
2004年清水エスパルスより移籍 移籍時の背番号は16
2006年度 背番号:8 愛称アレックス
日本代表MFアレックス 正確な左足のクロスとFKが武器 得意技「裏街道」
チーム内でのイジラレ役もこなす。
日本代表歴も長く、日本一多忙なサッカー選手である。07シーズンよりザルツブルクにレンタル中。
08年復帰。しかし、復帰した柏戦で負傷、現在もリハビリ中。 平成21年8月、名古屋グランパスに完全移籍した。名古屋との契約期間は平成22年シーズン終了まで。「ここ(浦和)でやりたかったが、試合に出たい。もう帰ってこないと思う。」と心情を吐露した。
× 主と神の子と精霊
× 小泉構造改革
大住良之氏はオフィシャルイヤーブック07のなかでCWCを総括し、「“三位一体”のシーズンを象徴する戦い」と評した。
もちろん チーム、クラブ、サポーターのこと。
ホームゴール裏(埼スタでは北、駒場では東と西)で、応援やコールなど声を出して選手を鼓舞する事もしないで、ただ地蔵のように固まっている人のこと。
レッズ好きなちょっと困ったちゃん。近年はただ跳ねているだけの「跳ね地蔵」も発生している。
正義。岡田正義SR審判のこと。えがちゃんに似てるなんて言っちゃいけない。
95年あたりは今日ほどの特徴を見せなかったが、現在は日本を代表する「ゲームクラッシャー」である。
特に近年はカードを出す表情が険悪極まりなく、スポーツへのリスペクトが微塵もみられない。
何より万を超える他人が知っているその事実を当人だけが知らないという、ある意味非常に気の毒な人生を送っている人物。
残念ながら08リーグ13節ガンバ戦(埼スタ)でまたまた
主役になってしまった(合掌)
名古屋グランパスエイトのこと。マスコットがシャチ(鯱)であることより。
潤沢な資金を持ち有名選手を集めるが、その中位力には驚くべきものがある。
ただし、マスコットの「グランパス君」はJの他クラブサポからも人気があり、清水のパルちゃんと常にNO1を争っている。
この辺、引きこもりでイマイチ得体の知れない動物のレディアとは段違いである。
浦和は何故かこのクラブと相性が悪く、今や東海エリア全体が鬼門となっている。

背番号13 日本代表MF 東海大翔洋高出身
177cm 67kg 1981年7月8日生まれ O型
驚異的な運動量を持ちフィールド狭しと駆け巡る 浦和の心臓 ワイルドボランチ 愛称ケイタ 鈴木さん
オシムが言うところの「ポリバレント」を代表する選手であり、オシムジャパンの「攻撃力を持ったマケレレ」。
派手さは無いが、確実に相手の攻撃の芽を摘みとり、臨機応変に複数のポジションをこなせる能力の高さを、オフト・ギド・オジェック・オシムという名将たちが彼を寵愛していることから、彼の能力が非凡であることが伺える。
たまにゴールポストのはるかかなたへと飛んでいく豪快なミドルシュート”元祖テンプラゴール”を放つ。
なお、「13」のプリントが入ったTシャツ等は、’06年夏頃までは典型的な不良在庫だったのだが、オシムが啓太を代表に選出して以来、右肩上がりに売上げが伸びている。決して「価値が上がった」訳ではなく、「価値に気付いた人が増えた」のだと信じよう。
ジェフ千葉の水野は従兄弟にあたる。
オリジナル曲はプレスリーのバラード曲、後にUB40が編曲の上カバーした。
浦和レッズサポーターはこの曲の最初の2小節までを歌詞なしの「オー」のみでエンドレスに歌う。
このサポーターズソングは93年セカンドステージホーム駒場でのアントラーズ戦の試合開始前に歌われている。
(最初かどうかは不明)
成績の極端な不振にあえぐチームに対し、レッズサポーターが示した思いの全てが
この「歌詞なしで歌うエンドレスソング」に込められていた。
以来この歌も「ここぞの時」にレッズサポーターは歌い続けている。

ゼリコ・ペトロビッチ(Željko Petrović、1965年11月13日 サライェヴォ・ニクシッチ Nikšić-)
旧ユーゴスラビア出身(現在の国籍はモンテネグロ)の元サッカー選手、サッカー指導者。
ポジションはディフェンダー、ミッドフィルダー。
ボールテクニックだけでなく労を惜しまない豊富な運動量と、
旺盛なファイティングスピリットでサポーターの支持を集め、「ペトロ」の愛称で親しまれた。
ギドが去った後の97年に加入し、背番号6を受けついだ。
大変な熱血漢で、相手選手、審判はむろんのこと、ふがいないプレーには自チームの選手にも容赦なく声を荒げた。
J2落ちが決定した広島戦では試合終了時にピッチに仰向けに倒れて号泣した。
その後クラブに即残留を申し出た。
翌年9月まで在籍したが残念ながら退団しオランダに去った。
2003年-2004年シーズンをもって現役を引退
フェイエノールトのアシスタントトレーナーを経て、ポルトガルリーグ・ボアヴィスタFC監督となるが、
2006年秋に解任。 現在はドイツのハンブルガーSVでコーチを務めている。
「浦和の監督になるのが夢」と語るペトロは浦和から愛され続けられるペトロである。
*浦和を心から愛し「浦和レッズの選手なら、常に全力で戦わなくてはならない」とメッセージを残した。
*福田の引退試合があると聞くと自ら福田に電話し出場を直訴した
*原博美監督が99年途中に解任された際には涙を流したという人情派の一面もある。
= 選手 =
1986年-1987年 FKブドゥチノスト・チトーグラード(旧ユーゴスラビア)
1987年-1988年 ディナモ・ザグレブ(旧ユーゴスラビア)
1988年-1989年 セビージャFC(スペイン)
1989年-1990年 FCデン・ボッシュ(オランダ)
1990年-1991年 ディナモ・ザグレブ(旧ユーゴスラビア)
1991年-1992年 セビージャFC(スペイン)
1992年-1994年 FCデン・ボッシュ(オランダ)
1994年-1996年 RKCヴァールヴァイク(オランダ)
1996年-1997年11月 PSVアイントホーフェン(オランダ)
1997年11月-2000年9月 浦和レッドダイヤモンズ(日本)
2000年9月-2004年 RKCヴァールヴァイク(オランダ)
1990年-1998年 ユーゴスラビア代表 18試合0得点
= 指導者 =
—-
ネディエリコ・ゼリッチ 元オーストラリア代表\ 2002年2ndステージ途中に加入。\ その後浦和初タイトルとなるナビスコ杯制覇に貢献。\ 1年数ヶ月という短い期間の在籍であったが、リーグ戦ではいくつかの試合で決勝弾、同点弾を決め、チームに貢献した。\ ゴールを決めた後のあのガッツポーズと雄叫びは今でも印象的だ。\
前日抽選の略。
試合会場に入る順番を決める抽選で、前日抽選と当日抽選がある。
会場には前日抽選で引いた番号の若い順番から、次に当日抽選の若い番号の順、その後、抽選をしない当日に並んだ人から入場して行く。
(下の図を参照)
抽選しない組⇒当日抽選組⇒前日抽選組 [門]
駒場で試合を行っていた時、元々とても熱い浦和レッズのサポーターは試合の数日前からテントを出してスタジアムの周りに並んで開場を待ってたが、
周辺の住民の苦情もあり、抽選を行うという方法を取るようになった。
なお、前日抽選で2番、3番を引いた人は次のホームの試合の抽選の仕切りの当番の役回りを行う。
※試合当日は、キックオフ6時間前(13:00)の時点で並ぶ順番を抽選し、
その抽選結果に順じて列を作って頂いておりますが、自由席のキャパシティは、
ゴール裏・バックスタンドを合わせて18,000席ございます。
抽選に参加されなくても十分にお座り頂けますので、
余裕を持ってご来場いただきますよう、ご協力お願い致します。