| Vol.10 URAWAが待ち続けるもの(後編) ■Part.3/ URAWAとW杯の距離。 新聞を開く。今日も大スペースで目に飛び込んでくるのは、 開幕を迎える祭典をモチーフにしたキャンペーン広告だ。 そしてその華やかさとは裏腹の、なんとも気にかかるW杯関連のトピックスが並ぶ。 結成以来10年の活動歴を経ながら、彼自身を含めてメンバーの9割8分までが 観戦チケットを手にすることができない現状を語る ウルトラス・ニッポンの植田朝日君のインタビュー記事(5月13日付・毎日新聞夕刊)。 苦難の果てに当選したにもかかわらず、 まだ小学生である子どもに写真付身分証明がないために 記名済みのチケットを郵便局から受け取れない 不手際を嘆く読者の声(5月12日付・朝日新聞)、などなど。 こんなニュースを目にした後は、なぜか思いついたようにPCを立ち上げて この『浦議』掲示板を見にくる機会が増えてしまった。 メイン掲示板にはここ数週間のTVや新聞では勝敗さえ満足に報道されなかったナビスコ杯や、 遥かフランスのツーロンで活躍を続ける田中達也や鈴木啓太の活躍に 思いを馳せるサポーターの声があふれている。 日本代表についても門戸を開いているはずのBBS。 だがフル代表の選手を送り込んでいない現状では、 なおさらレッズ・サポーターたちの反応もW杯に対して一定の距離がおかれているようだ。 いつの時にも、レッズこそ至上……。 “赤い悪魔”たちの志向のシンプルさに改めてある爽快を感じるのは、 昨今の“ワールドカップ・モード”とやらの奔走ぶりに照らせば、 単に私自身がレッズ支持者であるという理由だけでもなさそうだ。 この浦和からはJRでわずか45分。 開催の祝賀ムードにおいては開催地を差しおいて その本拠地となった感さえある都内で、 サッカー好きについては人後に落ちない某社広報宣伝部の方々と飲んだ。 「レッズ・サポーターはこの期におよんでも代表をスッとばして、 レッズの応援だけに集中できるのでしょうね?」 訊ねられるままに『浦議』を始めとする掲示板や ナビスコ杯のMDPから読み取れる現状を伝えると、 サッカー関連のマスコミに関しては百戦錬磨である面々が一様に唸った。 「その辺りは“レッズ”は徹してるというか、さすがというか。 でも彼らもスタンドに足を運ぶことが期待できないとなると、 ますますもって会場の雰囲気が心配だよなあ」 チケットの入手が難しい状況はレッズ・サポーターにとっても変わりはないし、 そこまで彼らの存在が代表のサポーティングに影響を及ぼすとは考えにくい。 だが、現在のサッカーファンが等しく抱えている不満と懸念を 遠回しに言い当てた言葉だと思えた。 「せめて抽選の“サポーター応募枠”を全体の半分ぐらいにまで拡大しておけば、 こういう不安も生まれなかったのかも知れませんけどね」 いまとなっては空しい理想論を私が口にすると、 同意を示す頷きとともに誰からともなく究極の比較論が飛び出した。 そこには開催前からすでにファンの間に漂っている、 ある“倦怠感”の源を糾弾する辛辣さが含まれていた。 「これだったらフランスの予選の時の“並び”の方がよっぽど納得できますね。 そこまでやる苦労も厭わない、 本当に応援したいサポーターがスタンドに行くということだったんだから」 幹部の大半を自治省OBが占め、 大会後には早々に解散するというJAWOCが担当したチケット販売システム。 そこには 「公平を期するため」 を謳い文句に張りめぐらされた繁雑きわまりない抽選手順が絡む。 だがサッカーとは無関係、 かつ従来までの種々の大会スポンサードにもほとんど実績がない企業に向けて 膨大な数の賞品用チケットが回される現状を見れば、 その「公平」の意味をいま一度問い質してみたくもなる。 FIFAに対する契約条件のクリアを金科玉条に掲げたビジネス感覚には 意外なほどの決断力を見せた彼らは、 「開催国側のゴール裏に地元サポーターが編隊を組めない可能性」 まである現状が、日本代表の活躍はおろか大会の盛り上がりにまで 決定的な影響を与える危険性に関してはまるでイマジネーションが働かないようだ。 価格数千万円という豪華版の相撲ます席を連想させる接待用“スカイシート”にい まだ半数の売れ残りがある(5月20日現在)のなら、 半券記名を励行してひたすらJに通い続けた実績を持つサポーターたちに そのスペースを適正価格で譲り渡すべき、と考えるのは暴論だろうか。 ■Part.4/ 加熱した「感動」の商品化。 W杯という祭典の印象が自分の中で変わってしまった……。 その変節を思い浮かべる時にさけて通れない記憶は、やはり前回・フランス大会にある。 時代の濁流の中に放り込まれたW杯の、 そしてサッカーの運命を思い知らされるやり切れない体験はそこで味わった。 1998年6月14日、午後1時。 3万人収容といわれたトゥルーズのミュニシパル競技場で行われる W杯フランス大会予選リーグH組の観戦チケットは、その時点で1万枚が不足していた。 いや、「不足」という表現は当たっていない。 「行方不明」になっていたのだ。 何か月も前に旅行代金とともにエージェンシーに規定の入場料を支払い、 このゲームに立会う当然の権利を手に入れていた1万人以上の人々が競技場の外に締め出され、 わずか1時間後に迫ったキックオフの瞬間を悶々と待つ立場に置き去られていた。 そして、その大半が遠来の日本人サポーターであった。 私は旅行会社に勤務する旧友とともに 川口能活がウォーミング・アップを繰り返す日本ゴール裏最上段に近い古びたシートに座ったまま、 目にしてきたばかりのサポーターたちの表情を呆然と思い浮かべていた。 まるで関門のように行く手を遮るギャロンヌ川に架かる橋を隔てて 数十メートル先に見えるスタジアム通路を見やりながら、 泣く泣く2枚しかないチケットを前に4人組の友だち同士で“ジャンケン”を敢行しているユカタ姿の少女たち。 日章旗を肩から巻き付けたスタイルのままにうなだれて 「オレたちの分まで、声、お願いします」 と握手を求めてくる青年たち……。 状況を知り尽くす私たちは返す言葉さえなく、ただ呆然とその手を握り返すしかない。 念のために記すが、もちろん私自身も仕事でその場に立ち会っていたのではない。 なけなしの有り金をはたいて500ドル以上の大枚を友人に預けて入場券にありついていたのだ。 競技場内に入れた私たちと場外に残された彼らとを隔てた命運の「岐路」はただひとつ。 観戦チケットの購入依頼を、海外の専門販売業者に依頼した手順だけだ。 私とともに観戦した旧友が当初より日本戦チケットの分配にまつわる異変に気づき 「ちょっと値は張るが、今回は確実に取れるルートに任せた方が得策と思う」 と、手管に長けた在米チケット・ディーラーを入手先として選択してくれていたのだ。 まるで事故現場で自分たちだけが救出されたような引け目を感じたままに、 私と件の友人は決戦が迫る客席でこの事態が指し示すチケット問題の実情を 怒りまじりに囁きあっていた。 奇遇にも私たちの隣り合わせに座った日本人サポーターは、 私とほぼ同年代の浦和在住の男性だった。 当日に入場券カラ売りの被害に遭った日本人サポーターがどれほどの数に昇ったのかは、 その時初めて彼から聞かされた。 「ヒドイものですね。あの開幕戦(ブラジルvsスコットランド)でさえ被害は3分の1の人数だったとか。 これじゃ日本人を標的にしているのかと疑いたくもなりますよ」 レプリカ姿のままの彼の憤慨に加えて 「これはよくある詐欺の手口」 と被害状況を平然と総括した組織委員会のフランス人担当者の無表情、 さらには期間中を通してシャンゼリゼで頻発した日本人旅行者相手のスリの手口などは、 かりそめにも美術を志した経歴を持つ自分自身のフランス観を決定的に変えてしまった。 かくして念願かなって日本代表の初の晴れ舞台に立ち会った私の思い出は、 かすかな苦みが混じるものとなった。 だが、しかし……。 大会が終わって帰国するや、またしても嵐が去るようにサッカーの話題から遠ざかってゆくマスコミや 人々の関心の変遷を目にしたときから、私の印象は変わっていった。 あの一件に対して沸き出てくる 「我ら日本人にも過失部分もあったのではないか」とか、 「日本人のサッカー観に下された、然るべき“淘汰”でもあったのではないか」 という疑念によってである。 なぜかリアルにこころに蘇ってきたのは激闘の最終予選を突破した瞬間から始まった 日本中をあげての異常な“躁状態”と、 ここが稼ぎ時とばかりに“旬”のW杯の商品化に暴走するマスコミのムーブメント。 そして不覚にも、それらのパワーの前に無防備に身を晒してしまった私たちサッカーファンの姿だった。 ■Part.5/ 祝祭の後に。 「歴史の証言者になる」「列島に世紀の祭典」「いざ、1億総サポーター」……。 TVや新聞でにわかに声高に連呼され始めたサッカーの賛辞も、 自国開催とあって今回はとりわけ大ボリュームのようだ。 『浦議』の読者諸兄には説明するまでもないだろう。 W杯にはこんな陳腐な煽りなどなくとも、大いなるドラマが誕生することは明白だ。 そして散々にこの場で苦言を呈してきた私自身も、 いざ大会の火蓋が切られれば日本を始めとする各国の精鋭たちの妙技に大声援を送り始めることも、 これまた疑いもないのだ。W杯は、 人間がかかわる地球上の全機能を停止させるほどの陶酔の祝祭なのだから。 だが、この世界の檜舞台とはまるで縁もない無数の街々にあっても、 サッカーというスポーツは膨大な時間の流れの中で人知れず愛され続けてきた。 このさりげない継続は、土地ごとの自然の中で醸成され、 そこに住む人々の手によって受け継がれるウイスキーのモルトの味わいに似ている。 「サッカーの感動」とは祝祭に打ち上げられる花火の輝きだけを指すものではない。 地球上に散らばる無数の名もなきホームタウンとチーム、 そしてサポーターたちがこのスポーツに心血を注ぐ日々の蓄積があってこそ、 頂点の輝きも生き続けてゆくものだと私は思う。 そしてこの事実を身をもって認識する姿勢を養わないかぎり、 何度W杯を開催したところで日本人がその感動を本質的に理解することは出来ないのではないかと思うのだ。 “醸造”の過程を知らないままに“うわずみ”だけをすくい取っても、 その陶酔はたちまちにして醒めてゆく。 広告業界に身を置く同僚たちからは 「こんな時にレッズにイレ込んだままで良いの?」 と訊かれる。 お世話になる機会が増えた出版社の方々も、 「豊田さんも日本代表の方にもアンテナを広げなくちゃね?」 と助言を下さる。 言い訳のしようもない。ごもっとも。 売れない事務所を抱える我が身には耳が痛く、 この上ない誠意にあふれたアドバイスでもある。 だが、自分自身の思い入れの部分に立ち戻るとき。 W杯とはかけ離れた舞台ではあっても、 いまだに残像を振り払えないほどの輝きを放つサッカーの記憶は幾つもある。 古くは1970年5月の、「狂った木曜日」。 60年間無冠のオランダの屈辱に終止符を打った無名のフィエノールトの凱旋に、 本拠地ロッテルダムの市庁舎前で小躍りして喜ぶ大群衆の姿。 近年では世紀末5月のサン・ドニ。 祝祭の折には見向きもされなかったフランスのはずれの港町から勝ち上がり、 8万人が熱狂するW杯決勝会場で強豪ランスに挑んだアマチュア球団・カレーFCの快進撃……。 世界中の街々で変わることなく続く、 こんなイレブンとサポーターたちの闘いにこそ肩入れしたくなる私の精神構造を、 当サイトの読者の皆さんは必ずや理解してくれるに違いない。 そして、近い将来に……。 私に助言を与えてくれた人々は、日本のとある街から放たれる輝きに驚くことになるだろう。 いや、彼らばかりではない。 この2002年の祝祭を称して 「これがサッカーの感動です」 と連呼した日本のスポーツマスコミは、 あまりにも身近かな場所から沸き上がってくるW杯とは異質の「サッカーの感動」に 心を動かされることになるだろう。 代表選手を一人も送り込めなかったチーム支持者の、 祝祭に対するヒガミ? それもあるかな(笑)。 でもレッズ・サポーター諸兄、ひとつやってやろうじゃあないか。 いまの日本にあって、こんな「サッカーの感動」を現実に巻き起こせる街はただひとつしかない。 私はそう思っている。 (第10稿了 2002年5月25日) 「駒場漂流過去ログページ」へ 皆さんの感想が豊田さんのモチベーションとなり次のコラムとなります。 是非とも感想は「豊田充穂コラム感想掲示板」までお願いします。 <無断転用・転載を禁じます>
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