
| Vol.1 クレージー・コールズの幻影(前編) ■Part.1/「浦議」と村田かなめ君のこと 村田かなめ君から『浦議』のコラムの要請をいただいたときは「何と光栄な」と感謝する半面、 「はて、本1冊書き終えたばかりの私に出来るのかな?」 という思いも強かった。 何しろただでさえせせこましい広告制作業にいそしむ身。 いまやレッズファンに限らず幾多のサッカーファンが注目し、 あまたのサポーターの皆さんの見解が集結しているサイトにあえて書き込む情報など 私が仕入れ続ける余裕などないのでは?と思えたからである。 しかたなくかなめ君に相談すると、 「いや、『生還』で書けなかったことで良いと思いますよ。ギドのこととか…。 取材のこぼれ話だけでも面白いと思うんです」 と例によって年齢に似つかわしくない的確なアドバイスをしてくれた。 思えば拙著で書き切れなかったことと言えば、真っ先にこの村田かなめ君のことかもしれない。 初めて会ったのは1年半前のことになる。 当方の事務所で制作していたインターネット雑誌のサッカー特集のためにインタビューさせてもらった。 当時、INのエキスパートの方たちの間でも『浦議』と「管理人・かなめ」はすでに知られた存在だった。 その頃キーワードになっていた「百万アクセス」を、一民間サイトでありながら達成せんとしていたのだから。 お会いして驚いたのはもちろんその若さだった。 これほどの巨大サイトを育ててきた人物である。 私はもっと老たけた、サイトづくりのエキスパートを想像していたのだが。 インタビュー場所に現れたかなめ君は、屈託のない笑顔に若々しさがあふれる大学生の青年であった。 その場で彼にサイトづくりのコツなどを質してみたのだが、 聞けば聞くほどに奥の深い『浦議』の魅力に感嘆した思い出がある。 それにしてもよく出来たサイトだ。 「議論する」というコミュニケーションの熱気を予感させるタイトルの妙、 「野次る」「他チームサポ」といった各コーナーへの誘引の巧みさ……。 これらのかなめ君独特のセンスに、 参加するレッズ・サポーターたちのサッカーに対する理解深度が見事にマッチしている。 サッカーは文化をも醸成させる」という格言に真実があるならば、 『浦議』はまごうことなきサッカーの街・浦和が生んだ最先端の文化である…… 私は、そう解釈している。 ■ Part.2/Y氏との対話 Y氏はあの伝説のサポーターズ・グループ「クレージー・コールズ」の創立メンバーである。 こんな頭文字の仮称を使おうとも、この『浦議』にアクセスしている人たちなら大多数が知っているはずの人物だ。 『生還』を書き進めるために取材した多くのオールド・ファンたちとは 「Yさんはいまどうしているのでしょうね」 という話題に没入することが多々あった。 彼と「クレージー・コールズ」が、いまだにレッズを愛する人々の中に消しがたい印象を残していることは明白である。 そんなわけで私はレッズJ2陥落のシーズンを追ったこのドキュメントには、何とか彼に登場して欲しかった。 だが……障害が多かった。 氏はいまはサポーターとしての立場を離れ、独自の道を歩んでいる。 Y氏にインタビューを要請した夏の頃、氏もレッズの苦境に直面してさまざまな自分自身の気持ちの「渦中」にあった。 だが、レッズのJ1復帰も決まって状況は変わった。 Y氏の諒承のもとに、『生還』には記載できなかった彼との対話原稿をこの場を借りて転載する。 J2降格以来、レッズとレッズ・サポーターが迷い込んだ迷路。 その闇の深さを垣間見るたびに、私は彼に会えないものかと考えた。 Jリーグ誕生の頃。まるで勝てない浦和レッズのゴール裏に陣取りながら、 次々とファンの耳目を魅きつけるサポーティングで圧倒的な印象を人々に残したサポーター・チーム 「クレージー・コールズ」 その創設メンバーであるY氏は、いまだにファンの間では知らぬ者ない伝説の人物である。 このかつてない苦境の時に、彼はレッズに対して何を考え、何を感じているのか。 電話取材でもいい、一言でもコメントをもらえたらと私は思った。 これは職業的観点からの要望というよりも、私情だった。 浦和というホームタウンに住む一市民として、 レッズとその周辺を見続けてきた立場から自然発生した個人的な感情といえる。 「彼はもうインタビューは受けないと思いますね。コメントを取るのは難しいかも……」 Y氏が駒場のスタンドから忽然と姿を消してからすでに5年という歳月が経つ。 好意からそうアドバイスしてくれる人もいた。 だがキャリアの長短、すなわち現役としての彼を知っているいないに拘らず、 特に若い年代のサポーターに関しては彼に対する崇拝と志向性は見事に一致していた。 或る20代のサポーターは 「ただただ遠くから見ていた憧れの存在。近くにも寄れない人だった」 と言い、かつて或る10代のサポーターには 「もしYさんに会うのなら、ぜひ僕も一緒に連れていってください」 と懇願された。 「We are Reds」に代表される日本中のウルトラたちの“ともに闘う”スタンスを確立させた人物。 レッズ・サポーターのみならず、 日本代表をサポートするウルトラス・ニッポンも採用する多くの応援歌の原形を創造した男。 彼なら、暗礁に乗り上げたレッズとそのファンに向けて何らかのヒントを与えてくれるに違いない。 私はそう思っていた。 そして、おそらく彼にとっては迷惑極まりないことであったろうが。 人伝てだけを頼りに、私はY氏とのコンタクトの糸をどうにかたぐり寄せてしまった。 電話口に出た彼は、それでも快く私の要望をひと通りは聞いてくれた。 だがインタビューについての解答は予想した通り芳しくないものだった。 「レッズは僕の“心のチーム”です。Jでの創世の基礎を創ったという自負があるからこそ、 いまそれについてあれこれ喋ることは自分を否定することになってしまうので」 もっともな意見だと思った。 類を見ないエポック・メークを自らの手で実践してきた人物なのだ。 苦境に直面しているレッズに対して、他人のペンで再現し得るはずがない無尽の思いが 彼の心中にあることは容易に想像できた。 私は沈黙するしかなかった。 だが、「書かない」という条件で所見の一端はその場で披露してくれた。 私が心遣いを感謝しつつ、所見を返すと意外にも 「豊田さん、って仰いましたっけ? そこまでレッズへの思いをお持ちなら……うん、一度お会いした方がいいですか」 と救いの手を延べてくれた。 あるいは電話での会話は彼自身の判断基準であったかも知れない。 私が、本当にレッズを見て来た人物なのか。 レッズ・サポーターを見て来た人物であるのか……。 万感を断ち切って駒場のゴール裏を後にした彼であるならば、それもまた当然の配慮であるように思えた。 そして、電話を切る直前には何とも印象的な言葉を口にした。 「あれから時間も経ったのに、こうして憶えていてくれる人がいるのは嬉しいことですし……」 (この項、続く) 第1稿 了 2000年12月20日 「駒場漂流過去ログページ」へ 告知 下記で紹介している本が12月21日に発売になります。 是非ともよろしくお願いします。 皆さんの感想が豊田さんのモチベーションとなり次のコラムとなります。 是非とも感想は「豊田充穂コラム感想掲示板」までお願いします。 <無断転用・転載を禁じます>
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