Vol.7  浦和レッズの幸福・2001 〜大住良之との対話〜 (その3)

■Part.6/ 2002スタジアムのゴール裏

 さいたま市(旧浦和市)の北西端、中野田に竣工した埼玉スタジアム2002の収容人員は63,700人。
一般席60,000に加えて車椅子席150席。バルコニー付個室30室とメディアシート2410席も装備した、
アジア最大級規模を誇るサッカー専用スタジアムである。
 浦議の読者諸兄はご存じのことと思うが、
このスタジアムの完成までには埼玉県議会を舞台に激しい応酬があったといわれる。
特に莫大な予算を投下しての建造となる収容規模においては、
さまざまな方面からの賛否が寄せられたことが報道された。
(大会後の負担も考慮して、収容4万人レベルに押さえる慎重論も根強かった)
それでも横浜と争ったW杯決勝戦誘致の情勢も考慮した上で、
埼玉県は最終的にはサッカー王国としての看板を掲げるべく巨大専用スタジアムの着工に踏み切った。
だが、その結果として姿を現した桧舞台のプロファイルはどのようなものであったか。
 「なぜ埼玉県が会場のひとつとなり得たか、あのスタジアムの着工に踏み切れたか、
すべては浦和にレッズがあったからなんです。
開催後はそういった原点に戻っての発想がないと運営を踏み間違える」
 大住氏は苦い表情を隠そうともせずに、自論を展開し始めた。
「私はサポーターの不満も、球団の悩みも把握しているつもりです。
アジアNo.1とか国際仕様でサッカー専用といったって、あの場所にあのスタジアム……。
年に何回も使えるわけじゃあない。その意味では2002スタジアムのつくりはいささか残念、といのが私の本音です」
 − というと?
「とにかくあのスタンドの形状ですよ。メインスタンドとバックスタンドをシンメトリーに作って、
その座席部分だけに屋根を付けている。ゴール裏はほとんどシートも無し。これをどう思いますか」
 − ウルトラがどこで応援をするか、ですよね。
「そう思うでしょう? シラサギ(建設地に生息していた野鳥)の羽根の形にするのも結構だけれど、
レッズが何を財産としてどう進むべきチームなのかというビジョンがあったら、
ああいうスタジアムの設計は生まれてこないと思うのです」
 − なるほど、サポーターが不在のままのスタジアム設計……
「屋根の形状を優先してスタンドの構造が決まったのですからね。
極端な話だけれど、シラサギを表現したいのならその片翼だけにすべきだったと私は思う。
とにかく、理想はレッズサポーターが占める
“ホーム側ゴール裏”が一方的に巨大スペースを占めるスタンド……これですよ」
思いもよらなかった大胆な構想に私はいささか唖然としたが、大まじめな氏の持論は熱を帯びるばかりだった。
「ゲーム前から新装成った埼玉スタジアムのスタンドで、アウェーを圧倒するレッズの大サポーターの応援が始まる。
潜在的に浦和の応援ぶりに期待しているファンはどう思うか。私は前から言っているんだけど、
それだけで大半の観客は入場料金の8割くらいは取り返した気分になるはずなんです」
 − となると、サポーターの年間シートのプライスも判断基準が変わる。
「まあ、年間5千円という値段は無理としてもね。ウルトラた
ちを優先的にスタンドに招く措置を球団がしっかりと取れば、
レッズサポーターはあのスタジアムにも足を運ぶはずですよ。そして数も増えてゆく」
 − そして、それに誘引された浮遊のファン層もスタンドを埋める。
「そういう流れです。あのスタジアムは、レッズが年間20試合なりをホームとして使ってくれることを前提としている。
その上で初めて運営が成り立つしろものなんです。
この大原則が自治体サイドに理解されていたか、それが何よりの疑問ですね」
 − しかし、2002スタジアムはもう完成してしまいました。
「私も実際に横山さんも含めた歴々と審議をしたのですがね
(注:この周辺は『日本サッカーは世界で勝てるか 〜2002年ワールドカップの準備〜』[中央公論新社]に詳しい)。レッズとしてはただでさえ旧浦和市に資金を注ぎ込んでもらい、
サポーターにも親しまれている駒場を出ていくことには抵抗があるんです。
ああいう形で完成したスタジアムではあるけれど、浦和のホームグラウンドとして継続していけるかどうか。
レッズの将来は、間違いなくそこにかかっています」
心ならずも私の質問はここで途切れた。氏の言を聞きながら、
幾度となく繰り返されたレッズの歴史に対する溜め息のような感慨が湧いてくるのを感じたからだ。
 またしても……。またしてもレッズを救うのはレッズサポーターなのか、と。

■ Part.7/ レッズを変える、スタンドの“レッズ”。


 チームと球団の現状に対する議論を封印しても、まずはサポーターへの提言から改革はスタートする……
もちろん私の心には、この大住氏の論旨に賛同や理解が及ばない部分も多かった。
 ただ、推測を巡らすことはできた。
氏の発言から、彼がどのような思考を辿ってこの結論に至ったかという推測である。
低迷をくり返すレッズの問題点が球団の組織自体にあることは、
すでに多くのマスコミによって指摘されてきたポイントである。
氏は、改めてそれをレッズサポーターに向けて提示することを避けたのではないか。
 日本サッカー界が待ち望んだ大イベントは目前に迫っている。
世界中のスタジアムの熱狂をくまなく目に収めてきた彼のことだ。
W杯のさなかでも、W杯後においても。
すでに彼自身が思い描く『浦和レッズの幸福』の未来像には、
埼玉2002スタジアムを埋めつくすレッズサポーターの姿がヴィジュアルとして組み込まれているに違いない。
 そのかけがえのない熱さとモチベーションを、
メディアに露出する自らの指摘や論調で冷却することを良しとしなかったのではないか。
 大住氏の見識を持ってすれば、レッズのチーム戦術や球団内の暗部を掘り下げることはたやすいだろう。
だがそれを2001という時間帯に、私やレッズサポーターたちに提示することが得策であるか、否か。
氏はこのポイントに関して悩んだに違いない。
 結論として、氏はインタビューに際してネガティブな球団批判は排除した。
代わりにサポーターをスタンドに集結させ、2002スタンドの客席を活性化させる呼びかけをくり返した。
 そしてその氏の呼びかけの先にいるサポーターたちは、球団財政を支える「お客さん」ではあり得ない。
ともに闘う姿勢をどのサポーターたちよりも強固に貫き、数万の勢力へと膨脹を目ざすレッズサポーターなのである。
 氏が選択したこのレッズ改革の処方は、
西暦2001年の『浦和レッズの幸福』を考えるスタンスとしておそらく、正しい。
 「シーズンチケットの入場が2万5千、イレギュラーの観客が1万5千。
あの6万3千人収容のスタンドに常に4万人の入場があったら、
レッズという球団とレッズサポーターの運命は変わりますよ」
 氏のこの言葉を考え合わせれば、なおのこと説明がつく。
社会情勢も経済情勢も、2002以降の日本は先の見えない不透明感から抜け出せない。
だがW杯は間もなくこの国で開催され、
そして夢の祭典を演出した巨大な舞台だけが津々浦々に残されるのだ。
 そこでは目先の強化や改革は、長期的な運営手法として通用しない。
J各球団は短絡的なビジョンでは解決できない、深刻な運営問題に直面する試練の時を迎える。
サッカーの街・浦和に生まれたレッズサポーターは、
果たしてそんな時代のスタンドにどんな熱狂の継続を見せることができるのか……。
 「これからの何年間かに、自分たちがいかに“大きな存在”となっていけるか。
サポーターに与えられた課題だと思います」
 氏の発言には、やがて来る厳しい現実をふまえた上での
レッズサポーターに向けての壮大なエールが含まれているように思えてならなかった。

■ Part.8/ そして、「幸福」への道のり。

 荒波が避けられない日本サッカーの未来において、
自らのチカラでその潮流を変えられる立場にレッズサポーターは位置している……。
氏の主張は、迫力を持って伝わってきた。
だが浦議の読者諸兄には分かってもらえるとは思うが、
その趣旨を理解した上でも私は大住氏の提言をすべて了解できたわけではない。
質問を続けながら、私は何度もノドまで出かかった。
 「そうは言いましてもね、大住さん」
私は、球団およびフロントの進路が納得できないままに続けなければならないサポーティングの辛さを思い起こした。
チケットや遠征の資金稼ぎに奔走し、徹夜でキックオフを待ち、
闘いへの集中を高めるウルトラたちの過酷が頭をよぎった。
職場や家庭を放置してアウェーのスタンドにまで集い、応援を続けるレッズサポーターの労苦を、
いま一度氏に問うてみたい衝動にかられずにはいられなかった。

 大住氏が『サッカーマガジン』編集長の任にあったのは1970年代の後半。
日本中のどこを探しても、満員のサッカースタジアムなど望むべくもない時代である。
私たちサッカーファンは彼ならではのテイストが漂うその紙面のグラビアで、
異国のスタンドの熱狂を羨望を持って見ることしかできなかった。
リヴァプールで、ミュンヘンで、リオデジャネイロで……。
愛するチームのカラーを身にまとい、声の限りの合唱を続ける数知れぬサポーターたち。
無償のままに、自らの意思だけで客席に集まった名もなき群衆の姿は、熱い闘いが繰り広げられる
ピッチの光景以上に私たちに深い感銘を残した。
このような魅力を糧に200年ともいわれる歴史を辿ってきたスポーツの第一線のジャーナリストである大住氏が、
特別な感情のもとに埼玉2002スタジアムに着目することは理解できる。
サッカーの土壌など皆無といえたこの日本で、サッカーの街・浦和に出現した
レッズサポーターを視界にとらえ続けてきたことも、なおのこと理解できる。

このインタビューと前後して、私はある週刊誌で連載されている大住氏のコラムを目にした。
あのレアル・マドリードのファンの逸話だった。
人気No.1チームであった宿敵・アトレチコに対抗する願いを込めて、
球団は名会長「サンチャゴ・ベルナベウ」の名を冠した10万6千人収容の大スタジアム建設を断行。
その殿堂を拠点として多くのサポーターの支援を獲得し、
世界的ビッグクラブへの階段を昇って行った名門の歴史エピソードだった。
トップリーグに上がった経験さえなくとも、地元の熱狂的な声援を受けるチームはこの地球上にザラにある。
それは分かっている。だが、ここは王国ブラジルでもなければ母国イングランドでもない。
たかだか10年足らずのプロサッカー史を刻んだに過ぎない不毛の地、日本なのだ。
その一隅の小都市に生まれたレッズサポーターは、
全霊の支援を捧げる彼らのチーム・浦和レッズの最大の誇りであり、
なおかつそのレッズの命運のイニシアティブを担う存在ヘと目されつつある。
この国に、このような歴史をたどるホームタウンとプロサッカーチームが存在したこと自体が
奇跡といえることなのかも知れない。

今年夏の8月1日。埼玉会館小ホールにて行われた
「浦和レッズ シーズン2001を語る会」
において塚本高志球団社長は、かつてこの催しで提示されたことのなかった核心をついた強化指針を明言した。
 「平成17年春までに専用グラウンド3面を備えたクラブハウスを完成」
という具体的なハード供給の目標には
「日本一のサポーターといわれる皆さんに、日本一のチームのサポーターになっていただくために」
「選手には“すさまじいまでの執念”を持って試合に臨むことを申し渡した」
といった、われわれの心情を見事に代弁した言葉が添えられていた。
またしても軽くはない荷を負って歩き始めるレッズサポーターがこころを和ませるのは、
こんな球団の未来を感じさせる出来事に出会った瞬間である。
ここに浦和レッズが確かな幸福へと向かう祈りを込めて、名著終章の一節を引用しつつ、この稿の結末とする。

〜 サッカーが愛されている町に、ある日舞い降りてきたレッズ。
町の人びとは、なんとかこの見も知らないクラブをもり立てて、ひとり立ちさせようと努力を払ってきた。
だからこそ、今日のレッズがある。浦和レッズほど幸せなクラブはないのだ。
だが、それも一方的な表現と言わなければならない。
私はかつて、「クラブとホームタウンは恋愛関係だ」という記事を書いたことがある。
クラブがホームタウンを愛し、その役に立とうとすること。
ホームタウンがクラブを愛し、それを支えようと努力を払うこと。
この恋愛関係をハッピーに続けていくには、双方の理解と信頼、そしてたゆまない努力が必要だ。
レッズだけの努力では、あるいはホームタウン側だけの努力では、
現在の状況をつくることはできなかっただろう。
両者の努力がうまくかみ合ったからこそ、浦和は幸せな町となり、同時に浦和レッズが幸せなクラブとなったのだ。〜
 大住良之著『浦和レッズの幸福』より

(第7稿了 2001年9月25日)

「駒場漂流過去ログページ」

皆さんの感想が豊田さんのモチベーションとなり次のコラムとなります。
是非とも感想は「豊田充穂コラム感想掲示板」までお願いします。

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豊田充穂著
『浦和レッズJ2戦記・生還』
      


あの『生還』から1年……
豊田充穂・浦和レッズドキュメント・最新刊

浦和レッズ2001戦記
『再生への序章』

2002年1月19日 
小学館より全国書店にて発売
定価:本体1,238円+税

小野の有終、オフト監督就任、天皇杯躍進……
“赤い悪魔”レッズのJ1での1年を綴る。

あの「生還」から1年。J1復帰を果たした“赤いダイヤモン
ド”浦和レッズと“赤い悪魔”レッズ・サポーターはジュビロ
磐田、鹿島アントラーズらトップリーグの列強といかに相対し
たか。井原正己、トゥットらを補強し、新監督チッタの指揮の
もとに臨んだ1stステージ。天才小野や野人岡野の退団を受
けて入団した核弾頭エメルソンを軸に、瀬戸際の闘いを展開し
た2ndステージ、そして天皇杯での躍進まで……。
主要ゲームの緊迫した描写を主軸にオフトとともに強豪・磐田
の基礎を築いた荒田忠典と杉山隆一、王者・鹿島のサポーター
河津亨、宿敵札幌を率いた岡田武史らの「レッズ再生」への提
言を織りまぜて綴る、渾身のスポーツドキュメント。
 
収録エピソード
ドラガン・ストイコヴィッチ/小野伸二/杉山隆一
/岡田武史/荒田忠義/河津亨 ほか

豊田 充穂 (とよた・みつほ)

コピーライター&イラストレーター。
幼稚園から大学卒業までを浦和市別所および仲町在住で過ごした生粋のURAWA−BOY(?)。
日産自動車、SONY、フィリップ・モリスなどのTV・新聞キャンペーンを手がけた広告代理店勤務時代を経て、
97年・豊田中島広告事務所設立。
95〜96のJリーグ・オフィシャルガイドの編集に参画。執筆においては、
今回の『浦和レッズJ2戦記・生還』がデビュー作。

メッセージ
「浦議はよく見てます。好きなのは『野次掲』。
ぜひ私も書き込みたいのですが、
皆さんの鋭いセンスに恐れ入るばかりでいまだに書き込んだ経験はありません。
HNまで用意してあるのですが……(笑)」

E−Mail/tn_ad_office@yahoo.co.jp