| Vol.6 浦和レッズの幸福・2001 〜大住良之との対話〜 (その2) ■Part.3/ 2001年という時間帯 『浦和レッズの幸福』の出版は98年の春である。 レッズがようやくにしてJの覇権争いを演じる、強豪への地歩を固めかかった頃だった。 優勝とまでは行かないまでも、愛するチームを上位争いの期待を持って観ることができる…… おそらくJ誕生以来であろう、レッズサポーターがそんな“幸福”を感じ始めていた時だった。 シーズン95にエース・福田正博が日本人初の得点王に輝いた後、 レッズは1シーズン制で争われた96年は終盤まで優勝を争う健闘を展開した。 翌97年も年間総合順位こそ10位に甘んじたが、2ndステージでは9勝7敗。 上位チームとごく当たり前に好勝負を演じるまでのチームに変貌を遂げていた。 加えて「人気衰退」が顕著となっていたJリーグにあって、 反発を見せるかのように盛況を維持し続ける駒場の盛り上がりもあった。 レッズは長年にわたってリーグの盟主として君臨してきたヴェルディ川崎の観客動員を引き離し、 チーム力においても凋落の色を見せるその相手にリーグ戦で2連勝。 いつしかマスコミも、「レッズこそJの理想を体現するチーム」との論調を提示し始めていた。 救世主であったキド・ブッフバルトとウーベ・バインは97年を最後に退団してはいたが、 ベギリスタインやネイハイスといった欧州路線の補強があった。 そしてこれらの外国人選手に頼らない、国産の戦力も整いつつあった。 エース・福田はいまだ健在。 代表では岡野雅行がジョホールバルで日本を初のW杯に導く活躍を見せ、 大柴健二、福永泰、山田暢久らは中堅としての場数を踏み、 永井雄一郎や田畑昭宏らの若い才能も台頭していた。 そして何より、超大型新人・小野伸二の入団が決定した春だった。 いまにして思い起こすのだが……。 あの頃、私たちは知らず知らずのうちにレッズというチームに対して、 早すぎる“幻想”を抱いてしまっていたかも知れない。 やがて味わうことになる絶望や苦難の道のりなど、まだ知るよしもない。 上昇気流に乗ったかに見えた浦和レッズを、過大な欲目を持って見てしまっていたかも知れない。 さらに言えば、当時のこれらの状況も『浦和レッズの幸福』 という著作のデビューをなおさら際立たせる背景となったに違いなかった。 「レッズは、辛い思いをしましたからね……」 話題を移すやいなや発声された大住氏の言葉には、 私と同じように浦和レッズのいかにも数奇な運命を見つめてきた感慨があふれていた。 あの時の、1998年のレッズとは違う。 あの時のレッズサポーターとは違う。この西暦2001年という時間の中にあって、 「私たちレッズ」は果たして「幸福」なのだろうか……。 それまでの快活な笑顔を消してしまった大住氏を改めて見すえ、私は質問をスタートした。 ■ Part.4/ GMに代わる強化責任の必要性 ― J1復帰は果たしましたが、当然、レッズはこのステージレベルでは簡単には勝てません。 J2時代と同じく、サポーターはさまざまな思いを胸に秘めて歩み続けています。 チーム強化のシステム、フロントの体質など、 レッズにはサポーターの手が届かないところに多くの問題点が残っていると思うのですが。 「その通りですよね、うーん……えーとね……」 (大住氏はここでかなりの間、沈黙した)。 「僕は横山謙三さんは日本のサッカー関係者、サッカー人の中でも非常に高い見識を持った人だと思う。 そして、レッズにおいては彼が強化の総責任者の立場であることも間違いない。 では、現状におけるレッズの強化の理想的なステップとは何か。 それはね、まずはJの王者になること以外ありえないですよ。 リーグおよびカップ戦でチャンピオン争いを恒常的にやれる、 次いでアジア王者、そして世界王者を目標にできるチームづくりのはずなんです」 大住氏のインタビューの回答は、開始早々からズバリとレッズの強化中枢に関わる内容に及んだ。 「でも、そういう当面のチームづくりの戦略において、横山さんは結果としていままで成功してこなかった。 これは事実です。クラブづくりとか、選手の教育とか、 長い目で見ての育成に関しては素晴らしいマネージャーだとは思うのですが……。 つまり、これからの時代に合った後任が必要ということだと思う」 的確な指摘だと思った。 横山GMが提唱するところのチームづくりの理念には多くの共感の声があった。 だがその理念はややもするとプロチームとしての最大テーマ「勝利」に向けての団結に際しては、 功を奏さない部分があったことは否めない。 レッズのJ2降格が決まった折に、 評論家や古くからのサポーターの諸氏からこんな声が上がるのを聞いた記憶がある。 「スポーツマンシップや選手育成の理想などに集約される横山GMの立場と提唱は、 チーム全体、特に日常的に勝利至上の真剣勝負が続くトップチーム周辺のスタッフの意識統一には機能 を果たさない」 そしてサポーターも含めてレッズの周辺でしきりに囁かれたこれらのチーム組織の膠着は、 有効な対策が講じられることなく置き去りにされてきた。 ― ただ、GMの立場という観点においては、 横山さんは自分の一存では自身の進退も決めることができない状況だったようですね。 「そうですね。その意味ではGMが横山さんで決まりなら、補佐役というか現場の強化部長…… GMの理念を踏まえつつ現場を統括し、 チームの全般的な強化に専念する責任者が必要になってきたということでしょう」 つぶやくようにつけ加えられた 「まあ、この場合、外国人でないとダメかな」 という言葉が耳に残った。 あの『浦和レッズの幸福』では語られることはなかった、 厳しさを秘めた氏の言葉だった。 そして、それはこの3年間にレッズが辿ってきた苦しい道のりをそのまま象徴する見解といえた。 ■ Part.5/ 「一人立ちをすること」の条件と意義 ここまでに話題がおよんだからには、私には聞いておかずにはいられない質問があった。 「その問題の打開策を進めてゆくに当たってのことなのですが」…… 私は多少のためらいを感じながらも、問いかけの言葉を継いだ。 − やはり組織体制の革新において、レッズが持ち続ける“ 三菱色”という背景が制約を与えはしないでしょうか。 「いや、それは二の次の問題と考えるべきと思う」 ― 問題となるのは、たとえ横山さんの見識のもとに基本構想が描けたとしても それに対応する組織の動きがすみやかに出来るかどうかということですが……。 たとえばチーム強化の全権に外国人スタッフを登用するという、先ほどの件ひとつ取ってもそうです。 「そうですね。ただ判断の遅れや多少の方向性の誤りなどはあるとしても、 いまのレッズは三菱に最大限の支援を仰がないかぎり、 いかに人気チームといえども“一人立ち”は出来ない現状です」 − いつも駒場で2万人を動員したとしても、じゅうぶんと言える収入源とは…… 「そういうことです。たまに国立を使ったとしても、 平均すればレッズの観客数は1試合あたり2万人程度。 これでは完全な自立はできない。その他の経営、選手補強等もままなりません。 安定してスポンサーの支援を受けていられることは現時点でのレッズのベースとなるものです」 インタビューを進めるうちに確信を深めたことではあるのだが、 大住氏の応答は私が当然この「フロントの体質」に関わる件に関して 質問してくることを見越しての“想定問答”だったようだ。 簡単に言えば、 「その問題は分かっている。でも、そこから論議を始めるだけでは次に進めないよ」 というニュアンスの提示である。 そして、さながら「それよりも」という口調で……。 氏が微妙に論点を変えながら持ち出した案件が、 他ならぬ日韓共催W杯の会場となる「埼玉2002スタジアム」だった。 「豊田さんはあの新スタジアム、ご覧になった? すごい大きさだと思うけれど、あれ見てどう思いますか」 − あの収容人数でサッカー専用という仕様は英断だと思います。 でも、レッズのホームとして使うには……いかにも浦和の中心部から遠いですね。 「いま日本中にW杯用スタジアムが完成しつつある。どれも4万人以上の収容をクリアする、 以前の日本なら考えられなかった大きさですよ。 陸上競技上兼用が多いといっても、W杯が終わった後にこれらの競技場がどうなるか…… 大きな課題となってしまうことは避けられない」 − “祭りの後”というヤツですね。 氏が投げかけてきた案件は、チーム内の組織うんぬんとは無関係にJの各チームが 近い将来に例外なく対処しなければならない「ハードル」に関するものだった。 「私が見るところ、いわゆるハコモノといわれるハードだけが先行する 大会の後にやってくる自治体とJの各チームにかかる負担は並大抵のものじゃない。 そうですねぇ、競技場として2002以降に見通しが立つところといったら、 エコパを本拠にする静岡の2チーム、鹿島……あとは神戸と札幌あたりかなぁ」 氏は、来たるべき祭典の会場となるJタウンを指折り数えながら続けた。 「レッズは、あの場所にあの仕様で建設された2002スタジアムを視野に入れなくてはならない。 県も球団も大会後の苦労は覚悟しなければならないハズですよ」 私は新潟国際競技場“ビッグ・スワン”の視察を終えてきたばかりの知人と交わした話題を思い出していた。 交通の便が満足に届かない、市街地から掛け離れた場所に突然姿を現した巨大スタジアム。 すみやかな誘導など願うべくもない立地条件。 試合開始にも間に合わないサポーター達の流れ……。 新潟ばかりではない。仙台においても、大分においても、 日本サッカー界が100年の歴史の末に迎えた一大イベントの後に残されるスタジアムの問題は、 私たちが想像する以上に深刻なものであることを改めて感じさせる内容だった。 私が黙って頷いていると、 大住氏はまたもや軽妙なたとえ話でやや暗くなりかかったその場のムードを修復してくれた。 「さっきのチケット、もう一度見せてくれない?……これ、年間指定席ですよね」 − はい、そうです。 「SB指定か……なるほど。レッズの場合、これで一人分幾らなんですか」 − 年度によって多少の差はあるのですが、 友人と4席セットをシェアして1人分で大体3万5千円から4万円といったところだと思います。 「そうすると年間15試合のホームゲームとして、1試合およそ2千5百円ちょっとといったところですか」 頭の中で計算を巡らせながら、氏は独特の愛嬌のある笑顔を浮かべながらこう質問を返してきた。 「たとえば埼玉スタジアム2002の自由A席シーズンチケット、 豊田さんなら幾らぐらいが適当と思いますか? そうだな、1万円だったとしたら……どうです、買いますか?」 − いやぁ、僕はともかくとしてサポーターたちは狂喜するでしょうね、ゴール裏がその値段なら。 「レッズ・サポーターに対してなら5千円でもいいかな。 私は球団はそのくらいのサービスをサポに対してすべきだと思うんです。 そしてそもそも、そういう決断こそが2002年以降の自治体とレッズの生きる道になると思っている」 W杯開催後に試練を迎える多くのJチームの事情と同じく、 レッズが“一人立ち”できるか否かの契機はW杯開催をメドとして間近に迫っている。 そしてその契機には、たびたび指摘されてきた球団の内部改革よりも、 まずレッズサポーターへのアプローチから始まる……。 どうやら大住氏の『浦和レッズの幸福・2001』の趣旨は、この辺りに存在しているようだった。 (この項、続く) 第6稿 了 2001年9月5日 「駒場漂流過去ログページ」へ 皆さんの感想が豊田さんのモチベーションとなり次のコラムとなります。 是非とも感想は「豊田充穂コラム感想掲示板」までお願いします。 <無断転用・転載を禁じます>
|