Vol.5  浦和レッズの幸福・2001 〜大住良之との対話〜 (前編)

■ Part.1/ 一級ジャーナリズムがとらえた「浦和」

  広大なスポーツ・ジャーナリズムの範疇にあって、
大住良之という名を特別な感情のもとにとらえている人は多いだろう。
佳き時代のサッカーマガジン編集長、
そしてレッズ・オフィシャルの幾多の読み物で展開された心に残るコラムの数々。
あるいはあの11.27を特集した「ニュース・ステーション」において、
レッズ・サポーターに向けて発せられたメッセージをもとに彼を記憶している人もいるかも知れない。
 「これから『百年構想』というながいスパンで私たちが道筋を辿り、親しみ、育ててゆくJリーグ。
そこでチームおよびサポーターたちが幾度となく味わい、体験していかなくてはならないエポックのひとつ……」
 いうまでもなく私も、あの日の福田正博のVゴールシーンを
背景に流れた氏の肉声をいまだに忘れることができずにいる一人だ。
 
氏と初めて対面したのは、96年のJリーグ・オフィシャルガイドの編集に携わった折である。
東京新聞の財徳健治氏や、フォトグラファーの今井恭司氏……。
自分のわずかながらのサッカー関連の制作歴に影響を受けた歴々に囲まれての作業だった。
その中にあっても氏の存在がとりわけ印象に残ったことに変わりはない。
それはサッカーに関する氏の深い見識に加えて、後年に上梓した1冊の本の記憶に根ざすところが大きい。
 『浦和レッズの幸福』。1998年の春にアスペクトより発刊されたこの書籍は、
レッズサポーターのみならず多くの旧浦和市民の注目を集めた。
 Jリーグの創設にともなってレッズ誕生を実現させた人々の献身、
観客動員のカベに挑んだ球団関係者たちの努力、
ホーム・駒場スタジアムの改装にまつわる自治体と球団とのせめぎあい。
そして何より、弱小であったレッズを比類なきパワーで鼓舞し続けた
黎明期のレッズサポーターたちの苦難の経歴……。
 ふかい感銘を受けた内容もさることながら心に残ったのは並々ならぬ取材の労苦がしのばれる
レッズをテーマとした力作が、このサッカージャーナリズムの第一人者によって著されたことである。
数あるJのホームタウンの中にあって「浦和」を舞台としたドキュメントが、
誰もが知るビッグネームによって上梓されたことである。
 早いものであの発刊からまる3年が経つ。いうまでもなくその間に、
私たちレッズを愛するファンおよびサポーターは語りつくせぬ体験をくぐりぬけた。
 低迷、降格、球団およびフロントとの確執、J2での苦闘、そしてトップリーグへの復帰……。
決して穏やかではなかった時間の経過の後で、
『浦和レッズの幸福』の著者はどのような思いで浦和レッズとレッズ・サポーターを見守っているのか。
 私は氏に再会し、現在にある『浦和レッズの幸福』を質してみたいと考え続けていた。

■ Part.2/  決戦前日の再会


 編集に携わっている月刊誌で、折よく2002年W杯にからむサッカー特集の企画が通ったのは4月中旬だった。
すぐさま私は「識者に聞くW杯の楽しみ方」なるコーナーを展開の中に割り込ませたが、
むろんこれは大住氏に話を聞くチャンスをモノにするために思いついた姑息な裏ワザにほかならない。
 懸念された通り、氏は強豪スペインと敵地・コルドバで対戦する日本代表チームの
遠征同行取材を担当する多忙の身だった。
だが私は無理を通し、どうにかインタビューの予定をねじ込む時間の工面をお願いすることができた。

                  *

 「久し振りですね、その後、どうされてました?」
 いつもながらの穏やかな応対で接してくれる大住氏と約2年ぶりの対面が実現したのは、
氏がスペインから帰国した直後のゴールデン・ウィークのさなかだった。
 まことに失礼な話ではあるのだが。私にとってコルドバでの日本代表の戦いぶりや、
この日のインタビューの本題である氏の「W杯の楽しみ方」の提言にはそれほどの興味が沸かなかった。
ご想像にたがわずカタチばかりの質疑でW杯開催に関するコメントを体よく確保しながらも、
私はいかにタイミングよく氏をレッズの話題に引き込むか……そればかりを考えていた。
 そんな下ごころがなせるワザだったのかもしれない。
取材のひと区切りがつき、録音用のテープ残量を確認しようと手帳をテーブルの上に置いた時だった。
私の手帳のホルダーに挟まれていたレッズ戦の入場券を目ざとく見つけた氏は、
さっそくホホウと膝を乗り出した。
 「綺麗なチケットですね、これ……Jリーグのですか?」
 私も待ってましたとばかりに(おそらく会心の笑みを浮かべていたに違いない)、
それが折しも翌日に国立競技場で行われる対ジュビロ磐田戦のシーズンチケットであることを告げた。
 「明日、満員らしいですね。5万枚売れたとか……天気良ければいいですねぇ」
 目を細めてチケットを手に取り、本題のインタビューの時とはひと味違う弾んだ声を響かせた氏の表情。
それはさながら玩具を見つけた子どもの無邪気を思わせる笑顔だった。
 「やはり大住さんも満員のスタンドに魅せられた人なのだな……」
 脈絡なく瞬間的にこころに浮かんだ私の印象は、あながち的はずれなものでもなさそうだった。
氏は私の待機に気づくまでもなく、翌日のレッズ対ジュビロ戦のこと、そ
してJ2の1年間を闘いぬいてきたレッズの話題へと踏み込んでいった。

 「以前にレッズについてお話ししたのは11.27の直後あたりでしたね」
− ええ。その時、大住さんはレッズ・サポーターに対して厳しいこともおっしゃってました(笑)。
『日本一』といわれようと、J2に落ちて応援や動員力が鈍るようなら彼らは
所詮その程度のものであったのだと思うしかないと。
 「そうでしたね。でも、J2の1年を見て感じましたよ……。本当に彼らは良くやったと思う」
− 11.27から1年半が経ちました。今日はJ1に復帰したレッズとレッズ・サポーターに向けて、
大住さんが考える2001年の『浦和レッズの幸福』をサワリだけでも語って戴きたいのです。

 案の定、「なるほど」と頷きながらも返ってきたのはちょっと困ったような笑顔だった。
そして私が意味ありげに継ぎ足した「差し障りがない範囲で……」という言葉に、
氏はついに声を出して笑った。
 「厄介な話題を持ってきてくれたね」……冗談めかしながらも、
そんなニュアンスが顔に書いてあるような哄笑だった。
 大住氏は私がレッズに関する制作や著作活動を続けてきたことはもちろん、
現在も浦和に拠点を置く身であることを知っている。
氏が演出したこの笑顔のやりとりのイントロは、わが浦和レッズのチーム状況および
レッズのことに関しては客観的な立場をとれない私の心情を推し量っての配慮かもしれなかった。

 「先日のアントラーズ戦は残念でしたが……正直、レッズは他のどこよりも活躍が
望まれるチームであるとは思ってますよ。例えば、どうです。
レアルに挑戦できるいまのジュビロの立場にレッズが立っていたらなんて、考えたりしませんか」
− 夏の世界クラブ選手権ですね。
 「なんと羨ましい話じゃあないですか。これがレッズに起こったことだったら、
今ごろは大変な騒ぎになっているでしょう?」
− 応援ツアーにサポーターの大群が押し寄せてます(笑)
 「その通り。スペイン行きはどうするか、サンチャゴ・ベルナベウにどうもぐり込むか……
レッズサポーターならチケット集めに奔走しているはずですよ。少なくともレッズは
そういう背景を背負っている。いまあるジュビロの立場を目ざさなければならないチームということなんです」

 話題がレッズに関する内容に転じてからわずか数分間。
驚いたことに私が氏にブツけようと思っていたインタビューの“立ち上がり”の骨子は、
大半が氏自身の口から吐き出されていた。
 
もっとも大きな期待を背負った人気チームが辿った、暗く長い迷路。
いくばくかの思い入れを持ってその経緯を追って来た者にとっては、
感じ入る悔恨にも差異はないということなのだろう。
 そればらば、なおのこと。氏にはこのひとときに語ってもらいたいと思った。
レッズとレッズを見つめ続けてきた私たちの、いま現在の「幸福」について、忌憚なく……。
 今度は私が膝を乗り出し、あらたなインタビューのやり取りは始まった。

− 大住さんがイヤーブックの巻頭で書かれたメッセージ。
11.27以来、それを糧に頑張り通して来た多くのレッズ・サポーターがいます……。
 私は口火を切る質問を口にしながらも、
「1999 レッズ・オフィシャルイヤーブック」巻頭メッセージの一節を心の中に復唱していた。

   愛するレッズへ−

   愛する「レッドダイヤモンズ」の選手たち、
   愛するクラブ、愛するサポーター、愛するファン、
   そして浦和市と、地域の人びと。
   そのすべてを、私は「レッズ」と呼ぶ。
   もちろん、私もその一部だ。

   1999年の11月、ぎりぎりまで追いつめられた
   私たちの心に生まれたものを忘れてはならない。
   あの厳しい状況ゆえに私たちが発見しえたものを、
   心に刻みつけなければならない。
   「心をひとつにして戦い抜く」
   その心さえ保つことができれば、
   私たちの前にはもう怖いものなどない。
   このような共感を与えてくれた
   すべての人びとに私は感謝する。
   そして、2000年、
   私は誇りを持って宣言する。
   「私たちは、浦和レッズだ。
   私たちは、胸を張ってともに歩む」

 大住氏の心の中にも、このメッセージは甦っていたかも知れない。
「……分かりますよ。レッズは、つらい思いをしましたからね……」
 そう応えながら、氏の表情からは先刻までの笑みが消えていた。

(この項、続く)

第5稿 了 2001年6月16日

「駒場漂流過去ログページ」

皆さんの感想が豊田さんのモチベーションとなり次のコラムとなります。
是非とも感想は「豊田充穂コラム感想掲示板」までお願いします。

<無断転用・転載を禁じます> 

豊田充穂著
『浦和レッズJ2戦記・生還』  
          


2000年12月21日発売
マガジンハウス刊/定価:本体1,300円(税別)

 あの11.27の衝撃からJ1復活を決める11.19の延長Vゴールまで。
358日間に及ぶ浦和レッズ&レッズ・サポーターの苦闘を描く渾身のドキュメント。
降格の日のピッチから立ち上がりJ2の舞台に臨んだ小野伸二らレッズ・イレブンは、コンサドーレ札幌やアルビレックス新潟などの激しい迎撃を受けるドロ沼の闘いに引きずり込まれる。公約のJ2制覇は遠のき、ライバル・札幌に圧倒されるレッズの惨状を目の当たりにするに至り、著者はレッズの精神的支柱であったギド・ブッフバルトに会見すべくドイツ・シュヴァルツバルト(黒い森)へと旅立つ……。
 連戦のプレッシャーに耐えつつ自らのプレーの復権を目指した永井雄一郎、室井市衛らの肉声。勝ち切れないチームに「結束の危機」を迎えたウルトラたちの焦燥。球団の改革を促すために立ち上がった大槻卓哉・村田要らの活動録……等々、多角的なアングルから追跡した浦和レッズ・シーズン2000の軌跡。

豊田 充穂 (とよた・みつほ)

コピーライター&イラストレーター。
幼稚園から大学卒業までを浦和市別所および仲町在住で過ごした生粋のURAWA−BOY(?)。
日産自動車、SONY、フィリップ・モリスなどのTV・新聞キャンペーンを手がけた広告代理店勤務時代を経て、
97年・豊田中島広告事務所設立。
95〜96のJリーグ・オフィシャルガイドの編集に参画。執筆においては、
今回の『浦和レッズJ2戦記・生還』がデビュー作。

メッセージ
「浦議はよく見てます。好きなのは『野次掲』。
ぜひ私も書き込みたいのですが、
皆さんの鋭いセンスに恐れ入るばかりでいまだに書き込んだ経験はありません。
HNまで用意してあるのですが……(笑)」

E−Mail/tn_ad_office@yahoo.co.jp